第10話
目が覚めたのは、夜が明けて間もない頃。
ベッドに起き上がって、ふいに聞こえた寝息に、あたしはぎょっとする。
振り向くと、アマリさんの近くの床の上に彼が転がってた。
「……帰るって言ったじゃん。」
ひとり呟いて溜息を吐いた。
信じられない。彼がいるのに普通に眠れたなんて。
ふと、アマリさんの長い耳がぴくりと動いて、目を覚ました。大きなあくびと
伸びをして、アマリさんは眠ってる彼にちらりと視線を向けた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
彼は小声で言って、静かに冷蔵庫から下りあたしのベッドの方にやって来た。
「おはよう。…彼、眠ってるの?」
「えぇ。少し前にようやく眠りに就いたばかりなので当分起きないですよ。」
「……そう。…彼ずっとココにいたの?」
「えぇそうです。ずっと黙ってあなたの寝てるトコを眺めたり、タバコを吸って
ぼーっとしたりしてましたよ。」
「……そう。」
惚けたように呟いた。
何でこんなトコで寝てるんだろう。何で帰らなかったんだろう。
その答えを探してみても、あたしには見つけられない。
あたしは立ち上がって、彼に毛布を掛けてあげた。夏だからって、いくら何で
も床の上にそのまま寝てたらカゼひくのに。
「ホントに寝てるんだよね?」
「えぇ、寝てます。」
念を押すあたしに、アマリさんは苦笑いして頷いた。
「じゃあ、おフロ入っても大丈夫かな?」
「あまり物音を立てなければ大丈夫じゃないですか?」
「うん、気を付ける。…念の為、いつものトコに座っててね?」
アマリさんは頷いて、静かにいつもの指定席に腰を下ろした。それを確認して
、あたしは静かにバスルームに向かった。
バスタブにお湯を張りながら考えた。
どうして眠れたんだろう。
彼に言われた通りにしたら、確かにいつの間にか眠ってた。
なぜだか安心してた。
ひとがいるのに。それが彼だからか何なのか、なぜか安心してて、そう思って
たら眠ってた。いつもよりすっと眠りに入れたし、何だかすっきりして目覚めら
れた。
どうしてなんだろう。ワケがわからない。
お湯に浸かりながら、久々に自分の体をまじまじと見た。
「――ホント…汚い体。」
思わず自虐的な笑みを浮かべてしまう。
こんな体、彼が見たら何て言うだろう。
彼には強がっていつでも相手するなんて言ってしまったけど、こんな体堂々と
曝せるワケない。普通のひとなら見たら引いてしまう。
こんな体に興味を示すのは、人間なんて呼びたくない変態だけだ。あいつらは
人間になりすましたただの獣だ。
そうでなきゃあんなコト平気でできるワケない。
あんなコトをしないと欲情できないクソ野郎。臭くて汚い汁を飛び散らし果て
るまで、あたしを何度でも嬲る鬼畜ども。
あたしは一生この記憶から離れられない。
この体がある限り忘れ去る日なんて来ない。この汚れた体から心が離れて行く
日まで、体に刻まれた忌々しい記憶を抱えていなければならない。
具合が悪くなってきて、慌てて別のコトを考えようと、頭までお湯に浸かった
。
あの日々を思い出すと、決まって吐き気に見舞われる。呼吸が乱れて、目眩ま
でする。最低だ。
そうなるのは厄介だから必死に違うコトを考える。
ふと、彼のコトがまた頭を過った。
彼はホントに不思議なひと。あたしに何もしてこない。
なら、何しにあたしのトコに来るのか。
あたしにはわからない。彼自身にもよくわかってないみたいだし。
あたしに何を求めているのか。あめ玉以外に何も与えられるモノはないのに。
あとはこの汚れた体だけ。あたしの持ってるモノなんてそれしかない。
どっちもさして価値がない。
食べればいぃコトがある分、あめ玉のが価値は高いか。
自虐的なコトを考えるのにも飽きてきて、おフロから上がるコトにした。
しっかり服を身に付け、タオルを頭にぐるぐる巻いて、すっきりしたのかどう
なのか微妙な気分でバスルームを出る。
「―ぅわ、びっくり。……ごめん、うるさくて起きちゃった?」
彼はすでに起きていた。あたしの声に反応して、ちらっとあたしの方を振り返
ったけど、すぐに元に戻して首を振った。
「うるさくはなかった。…さすがにこんなトコじゃ熟睡できねぇ。…体痛ぇし。
」
彼は眠そうな声で答えた。ダルいのか話し方がぼんやりしてる。
「そんなトコに寝てたらあたりまえだよ。帰るって言ったクセに。」
「……うん…ぼーっとしてたら…寝てた。」
タバコに火を点けながら彼は言った。気付くと室内はやたらケムい。一体何本
吸ったのだろう。
「コーヒー飲む?」
「……うん。」
コーヒーができるまでの間、窓を開けて換気をした。もくもくとした視界に、
さすがにあたしは文句を述べた。
「ちょっと吸いすぎじゃない?」
「…そうか?――それよりあんた、早く髪乾かせよ。」
文句は軽く流されて、お返しとばかりに文句を言われた。溜息混じりにタオル
を外して、簡単に水気を拭き取る。
それからコーヒーをカップに注いで彼に渡すと、
「ちゃんと乾かせよ。カゼひくだろ。」
って、ちょっと怒ったような口調でまた言われた。濡れた髪が気になるのだろ
うか。
「平気だよ。あたしいつもこうだから。」
「それじゃ髪傷むだろ。…ドライヤーどこ?オレやってやるよ。」
「えぇっ?……いぃよ、いらない。」
「じゃ自分でやるか?」
「……やらない。…自分で使ったコトない。」
「マジで?じゃあドライヤーないのか?」
「あるよ。…いつも行ってる美容院で髪切ってくれるお姉さんが、ちゃんと使い
なさいってくれた。」
それを聞いて、彼は呆れた顔で笑った。
「なら使えよ。ほら出して。」
【0017】
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