「待ってっ、行かないでっ」

 思いがけずカルラの声がして、オレは立ち止まった。

 振り返ると、彼女がオレの方に向かって走って来てた。

「ごめん。…悪かったわ。……もうしないから行かないで。もうちょっとだけ… 一緒にいて。」  おどおどと、様子を伺うように言葉は呟かれた。

 その言葉は、今までで一番イミのある大切なモンに思えて、一瞬で胸の痛みが 消え去った。

 彼女の黒い瞳がゆらゆらと揺れている。

 オレは笑って口を開く。

「ちょっとでいぃの?」  彼女は困った顔で、でもどこかホっとしたような笑みを浮かべた。

 それからオレたちは、丘の草の上に座り込んでしばらく日向ぼっこした。  静かな森はちょっと風が強い。

 オレはタバコに火を点けて、彼女にも箱を差し出した。彼女は一本取り出すと 、いつも通りオレのから火を移した。

 その瞬間は、キスをする時にどこか似てる。

 彼女の顔が近付く瞬間、バカみたいに心臓が跳ね上がる。

 初めてキスをした時もこんな感じだったろうか?

 遠い記憶を掘り起こしても今では何も思い出せない。諦めて小さく息を吐く。 「今日何するの?バイト休みだろ?」  寝転がって、煙を吐きながら彼女に目を向ける。

「あなたはどうなのよ?」

「オレ?オレも休みだよ。だってあんたとシフト同じにしてもらったもん。」 「え?何で?」

「夜遅くあんたひとりで帰るの危ないだろ。」

「…何それ?」  カルラは何がおかしいのかぷっと噴き出した。オレは不満たっぷりの顔で彼女 を見る。 「何がおかしいんだよ?オレがあんたを心配したらおかしいか?」

「おかしいよ。だってイミわかんない。あたし何かあなたに心配されるようなコ トした?」 「……してるよ。…あんたは自分を大事にしないから。」

 彼女は黙ってそれを聞いて、静かに溜息をつくように煙を吐いた。その顔には 、苦い笑みが浮かんでる。 「―だって…そんなコトできる人間じゃない。」

「そんなコトねぇよ。」 「……そうかな?」

「そうだよ。あんたはいぃコだ。タバコ吸ってなきゃな。…って、吸わせてんの オレだからあんたは悪くないか。じゃああんたはタバコ吸っててもいぃコだな。 」

「…イミわかんない。」

 彼女は笑った。呆れたように。  煙が風に揺らされる。

 風に流されてく雲の行方を、オレはひたすら追いかけてた。

「わかんなくてもいぃよ。…とにかくオレが勝手に心配してるだけだから。…で も忘れるなよ。オレみたいにあんたを心配してる人間もいるってコト。」

「…んー…そうだね。」

 わかったのかわかってないのか、彼女は小さく頷いた。多分わかってない。  いつか、その言葉を素直に受け止めてくれるだろうか。

 そう願いながらオレはタバコの火を揉み消した。 「あー、ハラ減ったなぁ。…何か食いに行かねぇ?」「そうだね。行こっか。」

「うわぁ、何だよカルラそのメニュー。…ダイエット中か?」

 近くのカフェに入って、オレたちは軽い食事を取るコトにした。

 席に着いて少しして、運ばれて来た注文の品を見て、オレは思わず間の抜けた 質問をぶつけてしまった。彼女の前に並んだ皿は、見事に野菜ばかりだったから 。

「違うよ。あたし肉食べれないから。」

 彼女は笑いながら、首を振ってそう答えた。

「だからあんたそんなに細くて白いんだな。全然元気に見えねぇ。オレはもうち ょっとぽっちゃりしてる方がいぃなぁ。」 「……余計なお世話。」

 カルラはムっとしたのか、ほっぺを膨らませた。それがおかしくてオレは笑っ た。

 こういう顔する時の彼女は、年相応に見えてすごくホっとする。普段の彼女は やけに大人びているから。

「そんな顔すんなって。全然食えねぇのか?オレの、ちょっとやるから食べてみ ろよ。」 「ムリ。…ホントにダメなの。」

 そう言って首を振り続ける彼女の瞳は、よく見るとあまりに深刻だったから、 オレはそれ以上のムリ強いはしなかった。  少しの間のあと、彼女は俯きながら呟くように言った。

「…肉をね…切られる時、痛かったのかなぁ…とかって思うと…気持ち悪くなっ て……あの焼けるにおいもそう。…吐き気がして…とてもおいしそうには見えな い。…あたし一生肉は食べれない。」

 それはもしかして彼女自身がされたコトだったんだろうか。

 心臓が変な痛みと動悸をもたらす。深く考えてはいけない。彼女にバレてしま う。オレが彼女の過去を知ってるコトを。

 オレは必死で感情を押し殺して、何でもない風に口を開く。 「…あんたいじわるだな。食う前にそんな話するか?…オレまで具合悪くなって きたじゃん。」 「あ…ごめん。」

 彼女は申し訳なさそうな顔で呟いた。

「でもダメだよ、ちゃんと食べなきゃ。せっかく頼んだんだし…ちゃんと食べて あげなきゃかわいそうでしょ。」

 オレたちは殆ど会話もせずに食事した。

 カルラは黙々と、雑草みたいな野菜を食べ続けた。オレが食事をしてる間、一 度もオレの方を見なかった。ずっと俯いて、何かを堪えるような顔で。

 ただの食事ですら、彼女にとっては苦痛なんだろうか。彼女が苦痛を感じずに いられる時間はないのだろうか。

 もうそんな日は、訪れないのだろうか。  オレの胸は痛みを訴え続けてた。



【0013】

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