第8話



 その翌日。

 朝早く、あたしはアマリさんに叩き起こされた。時計を見ると、まだ9時。  恨めしげにアマリさんを睨むと、彼はドアの方に顔を向けて、 「彼、来てますよ。」

 って言った。 「―彼?」

「ツグミさんですよ。」 「は?何でわかるの?」

 アマリさんは一瞬ハッとして、それからちょっと微妙な顔で笑った。

「あのノックの仕方は彼でしょ?」  耳を澄ませば、確かにこの前みたいな叩き方だ。

「……もぅ何なのあのひと…」

 ベッドから起きだして、アマリさんの配置を確認したあと、のそのそと入り口 に向かった。

「いぃ加減にしてよ。何なの?あたしまだ眠いんだけど。」

 ドアを開けずにドア越しにあたしは声をかけた。ノックがぴたりと止む。 「もう朝だぞ。中入れてよ。…つか、何でオレだってわかった?」

「そんなノックの仕方あなたしかいない。」  彼はドアの向こうで笑った。それからまたノックをし始めた。

「ちょっとやめてよ。うるさい。」

「中に入れてくれたらやめるよ。」

 しばらく迷った末、あたしは溜息をついてカギを開けた。ドアは勝手に開けら れて、すぐに彼は中に入って来た。

 ドアが閉まるのを確認して、彼を見上げる。奥まで入られないように通路を塞 いで。 「今度は何?…何の用?」 「朝から不機嫌だなぁ。低血圧か?」

「あなたが来たからでしょ。」

 腹を立てるでもなく、彼は笑ってあたしを見下ろしてる。“中に入れろ”って 言わんばかりの顔。

「何しに来たの?」

「ん〜、ヒマだから遊びに来ただけ。」 「……何?したいの?ヒマすぎてあたしの体で遊びたくなった?」  鼻で笑って彼を眺めた。できる限りの冷めた顔で。

 彼は困った顔で溜息を吐いた。

「バーカ。いらねぇよ。そんなんじゃねぇって前にも言ったろ。何回も言わせん な。」

 そう言うとあたしの頭を軽く撫でて、彼は勝手に中に入ってった。

「お茶ちょうだい、カルラ。」

 彼は自分の部屋同然にどっかりと座り込んで、ドアの前で呆然と立ってるあた しに向かって言った。

「馴々しく呼び捨てしないでよ。」

「いぃじゃねぇか、オレのが年上なんだし。―な、アマリさん?」

 彼はアマリさんに同意を求めるように声をかけた。あたしはぎょっとして彼を 見る。

「―…余計なコトかもだけど…男のひとがぬいぐるみに話しかけるのって気持ち 悪いからやめた方いぃよ。」

「…あぁ、悪い…気を付ける。」

 彼はちょっと気マズそうに頷いた。アマリさんは知らないフリを続けてる。  冷たいお茶を出して、あたしはベッドの上に腰を下ろした。

「あたし眠いんだけど。」

「じゃあ寝ていぃよ。あんたが寝たらオレ帰るから。」

「イミわかんない。何しに来たのよ?」

 冷笑して、あたしは言葉を吐き出す。彼は何か言いたいコトがあるような微妙 な顔してる。心なしか、少し落ち着きがなく見えるのは気のせいだろうか? 「ヒマだからあんたの顔見に来ただけだ。眠いなら寝ろよ。」

「あなたがいたら眠れない。ひとがいるトコであたし眠れない。」

「横になって目閉じてたら眠くなるだろ。」 「そういう問題――」

 言いかけて突然、強烈な眠気に襲われて、あたしは吸い込まれるようにベッド に転がった。

 遠くの方で、彼があたしを呼ぶ微かな声が聞こえた。

 カルラは話してる途中で、いきなり意識を失った。

 ベッドに転がる彼女を見下ろして、 「あんた…何かやった?アマリリス。」

 そう、問いかけた。 「えぇ、ちょっとだけ。」  静かな声で返事が聞こえる。

「これ…寝てるだけ?」 「えぇそうです。」

 淡々とした答えを背中に受けながら、念のため脈とか呼吸を確認して、オレは カルラから離れた。

 軽く息を吐き出して、窓際のアマリリスに目を向ける。

「あんたさぁ、ちょっとこれは強引だろ。」 「あなたこそわたしのコト見すぎですよ。カルラさんにバレちゃうじゃないです か。」

「…あー悪い…何かあんたの視線気になってさ。」

 オレの言葉にアマリリスは苦笑いして頭をぺこりと下げた。

「おや、それは失礼。そんなに見つめたつもりはなかったんですが。」  彼は座ってた棚から軽がると飛び降りて、冷蔵庫を開けると中にあったチョコ レートを手に取った。

「やっぱ犯人はあんただったんだな。」 「何のコトです?」

 とぼけた顔であたりまえのようにチョコを食い散らした彼は、満足そうに声を あげた。

「人間は面倒な生き物ですが、こういうおいしいモノを作り出す点は素晴らしい 。」

 歌うようにそう言って、ミルクティを飲んだあと、空箱だけ中に戻して冷蔵庫 を閉める。ミルクティの容器とチョコを包んでた銀紙は、丁寧にゴミ箱に捨てら れた。  それから彼は冷蔵庫の上に飛び乗って丸くなり、安心したようにホっと吐息を 漏らした。

「それで、なんですか?わたしに話があっていらしたんでしょう?」

「あー、わかってた?」 「えぇ。何か挙動不審でした。…カルラさんはひと前では絶対眠りませんから、 待ってても時間のムダと思い眠らせました。」

「あーそう。…ちょっとびっくりした。いきなりだったから。」 「ちょっと加減を間違えちゃいました。もう少しゆっくり眠らせる予定だったん ですが。まぁ問題ナシです。どうぞお話ください。」

 アマリリスは“話を進めろ”とばかりに腕を振った。  カルラの方をちらっと見やって、オレはアマリリスの近くに座り直した。



「あんた…カルラの過去知ってんだろ?」

 彼は耳をぴくっとさせて、ちょっと驚いたような顔でオレを見て頷いた。

「えぇまぁ。一応、担当になった人間のデータは把握するコトになってますから 。」

「じゃあ教えて。それは別にいぃだろ?あんたの仕事の邪魔にはなってないだろ ?」

「……まぁ、そうですけど…」  アマリリスはちょっと渋い顔をして首を捻った。長いしっぽが、メトロノーム のように揺れている。

「人間というのはホントにややこしいですね。変えるコトのできない過去の情報 に拘るなんて。特に他人の過去を詮索するのが大すきだ。自分のはイヤがるのに 。…あなたは何のためにカルラさんの過去を知りたがるのです?彼女をどうする 気なんです?」

「――うん。……考え中。」

 呟いてもう一度カルラの顔を見た。  アマリリスの言うコトはもっともだ。

 だけどどうしても気になるんだ。知っておかないといけない気がして、そうし ないと何か悪いコトが起きる気がして。

「あんたの言う通り過去は変えられない。…でも人間には将来起こるコトを見る 力がないから、過去を知るコトで未来に起こり得るコトの対処法を考えるんじゃ ないかな。…予測できないコトや避けられないコトもあるかも知れないけど…知 ってたら避けられるコトなら知っておきたいじゃないか。」 「……あなたには何か見えるのですか?この先彼女に何が起こるのか。」

 彼の紅い瞳がオレを探るように見つめる。オレは苦笑して首を振った。 「何も見えないよ。…ただ変な胸騒ぎがするんだ。予感ってヤツかな。」

「…カンですか…それもあなたの力によるモノなんでしょうかね。ホントに人間 というのは面倒な生き物ですね。わたし人間でなくてよかったです。」 「そうか?なかなか楽しいぞ?」  オレは笑ってそう言った。アマリリスも笑って、しっぽを揺らした。

 そして静かに話し始めた。

「カルラさんの出身地のコトはご存知ですか?」

「まぁ少し―農作物もロクに育たない貧しい少数民族の村だってくらいしか。」 「えぇ、その通りです。中でも彼女の集落はもうじき途絶えるだろうと言われる 程少数です。年中気温が低い不毛の地では生きて行く為にはどうにかして金を稼 ぐしかありません。――その手段の一つとして行なわれていたのが、子供を使っ た売春です。」  一瞬の沈黙。

 思わず溜息が零れた。想像の範囲内ではあったけど、事実だとわかると何だか いたたまれない。

「彼女が6つの時からそれは始まります。」

「…っそんなに…小っさい頃から?」

「そのようです。わたしには理解できませんが、世の中には子供にしか欲情しな い性癖の人間がいるらしいですね。そのような人間のトコに貸し出すんです、高 い金を要求して。その分何をやってもいぃコトになってるので、随分ヒドい目に も遭ったようです。死なないだけマシなんですかね…いや、死んだ方がマシだっ たかも知れないですね。」

 淡々と穏やかな彼の口調とは裏腹な話の内容に、何だか具合が悪くなってきた 。聞いてるだけで吐き気がしてくる。

 それでも耳を塞ぐコトも、話を中断するコトもしなかった。望んだのはオレだ から。

「で、これは彼女が8才になるまで続きます。その年に両親が事故で死にまして 、彼女は孤児院に入れられたんです。そこでしずくさんと出会います。」

「…じゃあそっからはまともな生活送れたってコトか?」

 その質問に、アマリリスは静かに首を横に振った。 「まだ何かあるのか?」

「残念ながら。――しずくさんはあそこではリーダー的存在で、子供たちをとて もよくまとめていました。カルラさんが入って来てからは、辛抱強く彼女と向き 合って何とか打ち解けるコトもできました。彼女はいつもしずくさんのそばから 離れずにいて、しずくさんも彼女のコトを気にかけていました。」

 アマリリスの話を聞きながら、カルラの態度を思い返した。他人を寄せ付けな いあの態度。他人には何も求めず、頑なに拒もうとするその姿。

 それでも、しずくという男の話をする時だけは、その態度が幾分和らぐのをオ レは気付いていた。彼女が唯一心を許している存在だというのがよくわかる。 「この間は確かに何事もなく穏やかに過ぎています。…状況が変わったのは、し ずくさんがココに入ってから。ずっとそうなる機会を待っていた者がいたんです 。」

「……誰だよ?…職員?」 「院長です。」

「――院長が?」

 アマリリスは頷いて微妙な顔で笑った。オレには笑えなかった。

 話し疲れたのか、彼は軽く息を吐いて伸び上がり、それから座り直してまた言 葉を続けた。

「現在70才を越える老いぼれですが、随分精力家なようです。しずくさんがい なくなってから二人の関係は始まりました。」 「……どんだけ元気なんだよ、そのじいさん。」

 頭痛がして、オレは苦い顔を更に歪める。

 アマリリスは、特に何の表情も浮かべずに涼しい顔でオレを見つめていた。



【0010】

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