第7話



 彼の置いてった紙切れには、ありえないくらいぎっしり彼のプロフィールが書 かれてあった。名前と生年月日の他、部屋番号からメールアドレス、更に何の役 に立つのか身長や体重、吸ってるタバコの銘柄、すきな食べ物まで書いてた。こ んなの何しに覚えろと言うのだろう。

 バカみたい。

 って思いながら、なぜか捨てられなかった。

 “彼は実に変ったひとですね”って、アマリさんは笑ってその紙切れを眺めて た。どうやらアマリさんは彼を気に入ったらしい。どこで会ったのかとか、何か 色々尋ねてきてなかなかあたしを寝かせてくれなかった。

 次の日の夕方、バイトに出かけたあたしは、制服を着て店内の掃除をしてる彼 を見て叫びそうになった。

 ホントにバイトを始めてしまった。

 愕然とするあたしをヨソに、彼は何食わぬ顔で皿洗い担当に納まり、たまに店 長の手伝いで酒を作ったりもしてた。

「もう、ホント信じらんない。あなた何考えてるの?」

 仕事が終わった帰り道。  彼はこの前と同じく自転車の脇であたしが出て来るのを待ってた。この前と同 じく自転車を押して歩く彼を、呆れた顔で眺めながらあたしは文句を零し続ける 。

 彼は笑って聞き流してた。

 タバコの煙が、揺れながら後ろに流れて行く。

「オレだって金稼がないと遊べねぇもん。孤児院行きの旅費だってかかるし。」 「本気で行くつもりしてるの?」

 “信じられない”って呟きながらあたしは彼に視線を向けた。彼は大きく頷い てニカっと笑う。それから、 「あ〜…暑いなぁ〜。今日も寝苦しいだろうな。」

 ダルそうにぼやいて、彼はタバコの煙を吸い込んだ。

 彼はかなりのヘビースモーカーだ。彼の吸う銘柄はかなり強くて、一般的には おじさんが好んで吸う、若者には人気のないタバコだ。  懐かしいそのにおいが鼻を掠めて、思いだしたくもない暗い記憶が呼び起こさ れる。

「あんたさ、そんな格好で暑くねぇのか?」

 ふいに彼の声が響いて、あたしは一瞬どきっとしたけど、何でもない風に落ち 着いて首を振った。

「あたし冷え性だから。」

「そうなのか?…そういやあんたいつも袖の長い服ばっか着てるよな。学校でも 部屋でも。バイトの時もだな。そんな冷えるか?」

「……うん。」

 短く頷くだけで、それ以上話を膨らまそうとはしなかった。彼はちょっと変な 顔をしたけど、あたしが知らないフリをしてたらすぐに前を向いて何も言わなく なった。

 静かに煙を吸って吐く作業を続ける彼。  変なひと。

「あたしにも1本ちょうだい。」

「え、これ?」  驚いた顔で彼はあたしを見たけど、何も言わずにポケットからタバコの箱を出 してあたしの方に寄越した。そこから1本取り出したのを見て、彼はライターを 探し始めた。 「いぃ。…こっち向いて。」

 あたしは彼のシャツの袖を引き、彼の銜えたタバコから火を移した。懐かしい 草の味。

 煙を吐き出すあたしを見て彼は苦笑した。

「未成年のクセに信じらんねぇな。堂々と吸いやがって。」

「あなたに言われたくない。こんなの吸ってるのおじさんくらいだよ。だいぶ昔 から吸ってるでしょ?」  彼は笑って頷いた。

 久々のタバコはちょっとキツい。重量感のある煙を吐き出すと、くらくらふわ ふわするような感覚に包まれた。

「カルラはどうなんだよ?吸ってるトコ初めて見たけど。部屋にも灰皿なかった ぞ。」

「ずっと吸ってないもの。院長のをたまにくすねてた程度だし。…しずくにバレ ると怒られるから、こっち来てからは吸ってない。」

「へぇ〜、しずくの言うコトは聞くのか。」  彼は鼻で笑ってあたしを見た。何が言いたいのか。  あたしは知らないフリして煙を吸い込んだ。

「はい、もうおしまい。」  彼は言って、あたしからタバコを取り上げた。自分のはもう吸い終わってどこ かに捨ててしまったみたい。

「この辺でやめとけ。久々はキツいから。つか、子供にはまだ早い。」

 そう言って、取り上げたタバコを口に銜えた。 「んじゃ、そろそろ出発だ。」

「何が?」  首を傾げたあたしに、彼は自転車に跨がって“後ろに乗れ”と手で指し示した 。あたしは即座に首を振る。

「―ヤダ。」

「ちんたら歩くの疲れた。早く帰ろうぜ。オレの運転のがあんたよりウマいから 。近道教えてやるよ。」

「いぃよ、いらない。覚えられないもん。」 「そしたらまた教えてやるよ。…いぃから乗れよ。置いてくぞ?」

「――なら置いてけばいぃ。ひとりで帰るから。」  独り言のように呟いた。それを見て、彼が困った顔で溜息を吐く。煙が静かに 揺れる。

「あぁーもう。面倒くせぇ女だなぁ。……悪かったよ。置いてかないから、乗っ て。乗らないとあんたの部屋の前で帰って来るまで待ってるぞ?」 「……そういう恥ずかしいマネやめてよ。あたしあそこにいられなくなるじゃな い。」

 あたしは溜息をついて、渋々後ろに乗った。

 何であたし、このひとにこんな振り回されてんだろ?言い様のないイラ立ちを 、吐息に乗せて吐き出す。

「ちゃんとつかまれよ。ケガするぞ。」

「これでいぃ。」  彼の服の裾を掴んだだけのあたしを、彼は苦笑いしたけど、それ以上何も言わ なかった。

 自転車はゆっくり進んで、あたしの知らない道を走った。それはホントに近道 で、今まであたしはどんだけ遠回りをしてたのか思い知らされた。

 寮の前に着いて自転車をいつもの場所に戻したあと、彼は“じゃあね”って、 手を振って男子寮へと帰って行った。

 遠退いてく彼の背中を見送ったのは2回目。何か変な感覚。  ひとの背中を見送るのって何か悲しい。

 アマリさんの待つ部屋に向かいながら、あたしはワケのわからないさみしさを 覚えた。



【0009】

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