第6話
彼がバイト先に顔を出してから2週間くらい経った。あれから彼は、ホントに
あたしの前に一度も姿を見せてない。
それをあたしは何とも思わなかった。
と言うか、その間に期末テストが始まって、そんなコトはすっぱり忘れ去って
た。気にしてられなかった。
しずくもテストで忙しいのを承知で、何度か勉強を教えてもらいに行った。い
つ行っても、しずくの部屋にはあの3人組がいて、あたしが訪ねる度にあめ玉を
要求した。
ナルシスト2号は、余程いぃコトがあったのか、やたらハマっててちょっと引
いた。
相変わらず、しずくはあめ玉を欲しがらない。あたしも特に勧めなかった。
長いテスト期間が終わって、やっと明日から休みに入るという日。
テストを終えたあたしは、部屋に帰り着くなり死人のように眠ってしまった。
ずっと徹夜に近かったから。アマリさんの相手も殆どできずにあたしは眠った。
それから何時間眠ったのか、ふいに体を揺すられてあたしは目を覚ました。
まっ暗な部屋の中で、アマリさんの紅い目だけが光ってる。
「―どうしたの?」
「誰かいらしてますよ。さっきからずっとノックしてるんです。」
「え?」
暗い部屋で耳を澄ますと、確かにドアをノックする音が聞こえる。
「…いつから?」
「随分前からずっと叩いてます。」
「ん〜…誰だよぅ…しょうがないなぁ。」
あたしは起き上がって部屋の灯りを点けた。
アマリさんは、ひとが来た時いつもやるように、窓際の棚の上に腰かけた。そ
うしてるとぬいぐるみっぽく見えるらしい。
彼が落ち着いたのを見て、あたしは入り口に向かった。ノックは控えめだけど
ひっきりなしに叩いてるからちょっと耳障り。
「あーはいはい、今開けますぅ〜。」
ノックを止めろと言わんばかりにそう言うと、音はぴたっと止んだ。
カギを開けてドアノブを捻ると、外から勢いよく開けられた。おかげでドアと
一緒にあたしまで外に持ってかれて転びそうになる。
「あ、悪い。つい勢い余って。」
そう言ってあたしを抱き留めたのは、彼だった。
大きな声が出そうになって、慌てて口を塞ぐ。それを見て彼はニヤって笑った
。
「おっすげえっ、その顔はオレが誰だかわかってるって顔だな?」
うれしそうに拳を握って、彼は勝手に中へと入って行った。
「―っちょっ…ちょっと、勝手に入らないでよっ」
慌てて中に入り込もうとする彼を止める。
「ドア開けたってコトは中入ってもいぃってコトだろ?」
「あなただってわかってたら開けなかったっ」
「おーおー、相変わらず冷てぇなぁ。」
ケラケラと笑いながら、彼は気にせず足を踏み入れようとする。
たまらずあたしは叫ぶ。「てか靴脱いで!うちは土足禁止!」
「え、マジで?あ〜こりゃ失礼…つか、珍しいな。どっかの国の民族みてぇ。」
感心したように呟いて靴を脱いだ彼は、今度こそずかずかと奥へと入って行き
、そこら辺に勝手に腰を落ち着けた。
「てか、何であんた5階にいんだよ?2年なら2階だろ?」
「どこだって誰も気にしないじゃない。隣近所が空いてる部屋がココにあったか
らココにしただけ。」
「…何だよそれ?おかげでオレ、1階からココまで全部探して歩くハメんなった
じゃん。何日費やしたと思ってんの?」
「…すきで探しといて文句言うのおかしくない?そもそもあたし頼んでない。」
「あーそうですね。悪かったよ。」
聞き流すようにそう言って、彼は手をひらひら振り、それから改めて部屋の中
を見回した。
やがてアマリさんに目を止めたかと思うと、おもむろに近くに寄って行った。
「……これ、何?」
「さぁ。もらいモノだから何だかわかんない。」
「ふーん……名前は?」
「ん?何でそんなコト聞くの?」
「あるんだろ?名前。」
彼はアマリさんをじっと見つめたままそう言った。あたしに言ってるようにも
、アマリさん本人に言ってるようにも聞こえるのは、あたしの気のせいだろうか
?
「…アマリさん…だよ。」
おそるおそる答えると、彼はぷっと噴き出した。
「何でぬいぐるみにさん付けなんだよ?変な名前。」
「……余計なお世話。」
彼はすぐにアマリさんから離れて特に何も言わなくなった。何か感付いたワケ
ではなさそう。
アマリさんはぬいぐるみのフリを続けてる。
「何しに来たの?」
あたしは彼から少し離れた部屋の隅の方に座って尋ねた。彼はちょっと苦い顔
して口を開いた。
「何だよ、もっとこっち来いよ。何もしねぇって。」
「ココでいぃ。何しに来たのか答えて。」
「んー…あめ玉もらいに?」
まるで、今口実考えたみたいな口調で彼は笑う。溜息をついてあたしは立ち上
がった。
「じゃあもらったら帰ってね。」
バッグからあめ玉を何コかとノートを出して、そばのテーブルに乗せると、机
の上からペンを取ってそれも置いた。
「1コでいぃよ。」
「そう言って毎日来られたんじゃ困る。まとめて持ってったらいぃじゃない。」
「いらねぇよ。1コしかいらねぇ。」
彼は頑として受け取らなかった。あたしも何だか面倒になってきてすぐに諦め
た。
「―ふ〜ん…しばらく見ないうちにまた埋まったなぁ…やっぱテストだからみん
なして験でも担いだか?」
彼はノートをパラパラ捲りながら、独り言のように呟いた。確かにテスト期間
中はいつもよりもやたらに声をかけられた気がする。
「よし、書いた。」
彼は言ってノートをあたしの方に差し出した。あたしはそれを受け取ってバッ
グに戻す。
「はい、もういぃでしょ?用が済んだらとっとと帰って。」
「まだ済んでないけど。」
「…あとは何?」
あからさまに追い出そうとするあたしに、彼は悪びれる風でもなく笑う。あた
しはまた溜息を吐いて彼の答えを待つ。
「そんなあからさまにイヤな顔すんなよ。ホントつれねぇなぁ“カルラちゃん”
。」
どこか勝ち誇ったように彼が言う。ちょっとびっくりしてあたしは彼の顔を眺
めた。
「―…誰か知ってたの?」
「あぁ。2つ先の部屋のコがオレと同じクラスでさ。そのコが教えてくれた。」
その答えに、あたしは記憶を探る。よくあたしの部屋を訪ねてあめ玉をもらい
に来るひとかも知れない。
「そう。じゃあもう気は済んだでしょ?名前も部屋もわかったんだから。」
「まだだろ。あんたオレの名前覚えてないじゃん。」
「もういぃじゃない。顔覚えただけでもキセキでしょ?」
「いやいや、顔覚えられたんなら名前だっていける筈。注文覚えるのより簡単だ
ろ?」
「……そうかなぁ?」
何か違う気がするんだけど。言いかけて、面倒だからやめた。
彼は笑ってあたしを見てる。
この前あたしはあんなに冷たくあしらったのに。さすがに言い過ぎたかなって
思ったりもしたけど。
でも全然気にしてないみたいに笑ってるし。
ホント、何考えてるかわかんない。
ひとに聞いて回る程の名前じゃないのに。居場所を知らなきゃならない程の人
間じゃないのに。
「…眠いから帰ってくれない?徹夜続きで疲れてるの。」
「どうせ明日から休みなんだしいぃじゃんもうちょっと。」
「何も話すコトないけど。」
「はいはい。オレがあるんだよ。」
あたしの言葉を受け流して彼は懲りずに笑う。溜息を吐いてあたしは座り直す
。何を言ってもムダとわかって諦めた。
さっさと話してもらって帰ってもらうしかない。あたしの態度でそういう雰囲
気を察したのか、彼はちょっと苦笑いした。
「休みどうすんの?どっか行く?」
「行くワケないじゃない。バイトあるし。」
肩を竦めてあたしは答えた。“やっぱり”って顔して彼は頷く。
「ふ〜ん、バイトね。…あとは?あとは何かするとかないの?」
“何で?”とか“あんたに関係ない”とか言いたいけど、流されて結局話すハ
メになるんだろうなって思って、あたしは投げやりな気持ちで答えた。
「2、3日…世話になった孤児院に行って来る。」
「…ひとりで?」
「いや、もうひとり。」
「あー、あの6年のエリートくんか。」
彼は思い出したように声をあげた。“へぇ”ってちょっと感心した声で、あた
しは彼を見る。
「しずくのコト知ってるんだ?」
「知り合いのコからちょっとね。たまに一緒にいるトコ見るって聞いた。」
「あぁ…あのジャケット目立つからね。」
まぁ、しずくの場合それだけじゃないんだろうけど。あたしが笑って言うと、
彼も笑った。
「あんたのその髪も十分目立つよ。」
「……そうだね。」
呟いて自分の髪を見た。
色を変えたら、みんなに物珍しそうに見られなくて済むだろうか。でもそうす
ると、存在感がなくなってあめ玉配りに支障が出そう。
「―あんたさぁ、どこの出身なの?靴脱いで上がる習慣て、この辺じゃ珍しいけ
ど。」
ふいに彼は何の気なしにそう聞いてきた。ただ座ってるのが退屈になったのか
、本棚の本を物色しながら。
「北だよ。」
「へぇ北。北のどこ?」
「………ジャウザ山の…麓。」
渋々答えると、彼は感動したように口笛を吹いて、本棚からあたしの方に顔を
向けた。
「すげぇ、あんたあそこの出身なのかぁ。あの何もないトコ。…どうりで珍しい
見た目なワケだ。」
「…知ってるの?」
「あぁ。オレも生まれは北だから。昔そこの近くにもいたコトあるし。」
彼は何でもない風にしれっと言って、あたしを驚かせた。
この国の北部地域は、移民族などの少数民族が住んでる場所だ。その中でも、
ジャウザ山の麓の辺りは、特に規模の小さい民族が押し込められてる。あそこは
とても寒くて、農作物もロクに育たない貧しいトコだ。大抵の人間は北の事情な
んて知らないし、そこにあたしたちみたいな少数民族が暮らしてるなんてコトも
知らない。
彼もそんなトコの出身だったとは、ちょっと意外だった。
「で、いつ行くの?」
「さぁ。しずくの予定次第だけど…2週間後に村でちょっとしたお祭りがあるか
らそれに合わせて帰るのかも。」
「へぇー祭りかぁ。」
彼は身を乗り出して何か楽しそうに笑った。
「よしっ、オレもついてっていぃ?」
「はぁ?…何言ってるの?」
あんまりびっくりして、声がおもしろいくらいにひっくり返る。何だかさっき
からびっくりしっぱなし。彼は到って楽しそうに笑ってる。
「何しに行くの?あんな何もないトコに。あなたには全然縁のない孤児院なんで
しょ?」
「うん。でもどんなトコか見てみたい。久々にあそこら辺の景色見るのも悪くな
いし。大体近くにいたコトもあるんだから全然縁がない場所ってワケでもねぇだ
ろ。」
「…だったらひとりで行ったらいぃ。あたしたちについて来る必要ない。」
「ひとりで行けるワケねぇだろ。あそこにいたのすげぇガキの頃なんだから行き
方知らねぇし。ひとりじゃおもしろくねぇし。」
あたしは呆れて今日何回目かの溜息を吐いた。何がおもしろくてあんな場所に
行きたがるのか。あたしには理解できない。
「うん、決めた。オレ勝手についてくから。あんたらが何言っても行くからな。
」
「……しずく何て言うかなぁ…」
そう呟いて、また溜息を吐いた。
それからしばらく、彼は何がしたいのかずっと部屋に居座った。あたしのバイ
トのコトをしきりに聞いてきたりしたけど、あたしはホントに眠くて、早く帰っ
てくれないかなって思いながら適当に答えてた。
「何かノド渇いた。あんたさぁ、オレ客だよ?客に飲みモンくらい出せよ。失礼
じゃねぇ?」
「…勝手に押し入って来たあなたの方が失礼だと思うけど。」
「あーそうですか。」
そう言ったかと思うと、彼は無遠慮に冷蔵庫を開けた。止める間もないくらい
の早ワザで。
「っちょっ…ちょっと勝手に開けないでよっ」
「――何だこれ…あんたどんだけ食い散らかしてんだよ?…悲惨だなぁ。」
中を見た彼は一瞬ぽかんとして、それから苦笑し始めた。
まぁ、あたりまえだろう。そこにはお菓子の食べかけとか空箱とかが詰まって
るんだから。
全部アマリさんの仕業だ。何回言っても彼は直してくれない。彼の中で何かの
基準があるらしく、それを満たさないとゴミ箱行きにはならないみたい。
あたしにはどうにもならない。
「もう少しキレイに使えねぇのかよ?」
「っあたしがやったんじゃないもんっ」
咄嗟に言い返して、ハっとして口を噤んだ。アマリさんの耳が一瞬動くのが横
目に見えた。
「はぁ?じゃあ誰がやるんだよ?あんたの他にこんなコトするヤツいるのか?」
彼が他意なく笑ってあたしを振り返る。不本意ながらも認めるしかないあたし
は、深く肩を落とす。
「…あぁっもうっ、あたしです、あたしがやったんです!…ちょっと片付けるの
面倒だったんですっ」
「何ヤケになってんだよ?」
彼は呆れた笑みを浮かべて冷蔵庫を閉めた。
放っといて。吐き出したい気持ちをムリに飲み込む。
「まぁいぃや。ちょっと自販機でコーヒー買って来てよ。コーヒー飲みたい。」
「―…コーヒーなら作ればあるけど。」
「オレ自販機のが飲みたいんだよね。」
「はぁ?何そのワガママ?2階まで下りなきゃ自販機ないんですけど。」
平然と言ってのける彼にムカっ腹が立って、あたしは彼を睨んだ。彼は全然気
にせず軽やかに笑ってる。
「エレベータ使えば5分もかからないで行って来れるだろ。」
「…あたしエレベータ乗れないんだけど。」
「何だよそれ?変なヤツだなぁ。じゃあ階段使えばいぃじゃん。」
「もうっ何なの?何であたしがそこまでして買わなきゃならないの?飲みたいな
ら自分で行ったらいぃじゃない。」
怒り半分、呆れ半分であたしは溜息を吐いた。彼の笑う顔がやたら憎らしく見
える。
「だってオレ客だもん。それくらいやってくれてもいぃだろ?早くしないと部屋
ん中荒らすぞ?」
「わぁっ、ヤダっやめてっ」
慌ててあたしは立ち上がった。彼がいたずらっぽい笑みを浮かべてあたしを見
てる。
「ホント何なのあなた?何様?」
口汚く罵りたい気持ちをぐっと堪えて、あたしはサイフを掴み鼻息も荒く外に
向かった。
「いってらっしゃーい。」
彼の楽しそうな声が後ろから聞こえるのを、全部ムシして乱暴にドアを閉めた
。途端に深い溜息が零れた。
これで何回目?
彼にペースを乱されてる。何が何だかわからない。
とりあえず早く戻って来ないと。
あたしは階段に向かって歩きだした。
【0007】
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