第5話



 バイト先に着いたのは、だいぶ空が暗くなった頃。

 週末はやたらに客が多いからイヤになるけど、文句なんて言ってられない。制 服に着替えると気持ちが引き締まった。

 開店して間もなく客は入って来て、いくつかの席を埋めた。ホール担当のあた しは、事務的にその客の応対をして歩き回ってた。

「すいませーん、店員さーん。」

 しばらくして、客から声をかけられてあたしは声の主を探した。奥のボックス 席で手を振ってるひとが見えて、あたしはそこにいそいそと近付いた。

 近付きながら、ちょっとびくっとした。

 あたしを呼んだひとは、ひとりでボックス席を占領してたから。その場所は、 一年前に妙なモノを押しつけていなくなったおじさんがいた席だった。

 おそるおそる、そのひとを確認して別人だとわかると、何とも言えない溜息が 漏れた。安心したような、ガッカリしたような。

「どうしたの、変な顔して?」

 客はあたしの挙動不審な態度に気付いて声をかけてきた。慌ててあたしは気持 ちを切り換えて、ポケットからメモを取り出す。

「いえ、申し訳ありません。…ご注文ですか?」 「うん、あめ玉ちょうだい。」

 客は、自然に何気なくそう言った。それがあるのが当然なような、平然とした 口調で。

「―申し訳ありませんが、当店にはそのようなメニューはありません。」

「ないの?ココには持って来てないの?1コでいぃんだけど。」

「は?」  聞き覚えのあるセリフに、あたしは思わず客の顔を凝視した。ぼんやりした視 界に、どこかで見た顔が映る。

「――まさかあなた…」 「やっと思い出した?…全然気付かないんだもんな。ヘコむわ。」

「っちょっと、あなた何してるのっ?」

 焦って周りをきょろきょろ見回して、それから彼に目を戻す。こんなトコまで 学園の生徒が来るなんて、思ってもみなかった。 「何って、酒飲みに来たんだよ。見ればわかるだろ?」

「ウソ言わないで。ココ隣町だよ?わざわざこんなトコまで来なくても、中でタ ダで飲めるじゃない。」

 周囲を気にしながら声を抑えて話してた。他の店員にも気付かれたくないし。 「だって見かけたんだもん。あんたが外に出かけてくの。だからどこ行くのかと 思って追っかけてみた。」

「ついて来てたの?」

 自慢げに胸を反らす彼を、あたしは呆れて見下ろした。今まで一度もこんなコ トなかったのに、何でよりによってこのひとなんだろう。

 悪びれもせずに彼は笑ってあたしに言う。

「あんたさぁ、自転車の運転ヘタすぎ。しかも、どんだけ遠回りしてんだよ?も っと近道あったろ?」

「ほっといてよ。あたしあの道しか知らないもん。…てか帰ってよ。」 「何でだよ?せっかく来たんだから飲んでくよ。ココのオススメの酒持って来て よ。」 「…お金あるの?学生証なんて使えないよ?」

 尋ねると、彼はポケットからサイフを取り出して中を見せた。心配して損した 、って思うくらい彼は金を持ってた。

「平気だよ。オレにはスポンサーがたくさんいるからね。」 「あーそう。…それはいぃご身分で。」

 投げやりにそう言って席を離れた。  カウンターで店長に酒を作ってもらって、それを彼のトコに運ぶと、 「あんたさぁ、バイト中くらいメガネしろよ。危なっかしいなぁ。」

 って言われた。  あたしは眉間にシワを寄せて彼を睨んだ。

「余計なお世話。ちゃんと仕事できてるから必要ない。」

「だって見えてないんだろ?」 「お客さんは大体の輪郭と席の位置で覚えてるから、見えてなくても問題ないの 。」

「……そんなコトできるならオレのコトも覚えられると思うけどな。」

 不満たっぷりに彼が言う。それを聞いて、あたしはつい鼻で笑ってしまった。 「だってそれ、必要ないでしょ?何の役にも立たない。」  言い捨てて離れようとした。思ってたよりも冷たい響きになってしまったけれ ど、別にどうでもいぃや。

 そしたら彼はあたしの腕を掴んで止めた。

「ちょっと待ってよ。」 「―何?」

 少しの間、何か言いたげに彼は何度か口を動かしたけど、諦めたように笑って 手を離した。

「……何か食うモンちょうだい。ハラ減った。」

「そういうの、まとめて言ってくれない?」 「ホント冷てぇなぁ。オレ客だよ?仕事中くらいもうちょっと愛想よくしたら? 」

「――ご忠告、ありがとうございます。」

 ワザとらしく丁寧にお辞儀して、大股で席を離れて溜息を吐いた。  あのひとは一体何なんだろう。この前も何かしつこく言ってきた気がする。殆 ど覚えてないけど。それが気に入らないのだろうか?  その後、彼はいつまでも飲み続け、コトある毎にあたしを呼んだ。

「ねぇカルラちゃん。あのひと知り合い?」

 同じホール担当のバイトのコが、しばらくしてあたしに声をかけてきた。あた しよりも2つ年上の女のひと。名前は何て言ったか忘れた。

「知り合いって程知ってるひとじゃない。…よくわかんないひと。」 「そうなの?お店来てからずっとカルラちゃんにしか注文しないから仲いぃのか と思った。」

 冗談じゃない。  思わず口にしそうになった言葉を飲み込んで、だけど抑えきれなかった気持ち が、あたしの顔を歪めた。

 あたしたちは奥のボックス席を見るともなく眺めてた。いつの間にか彼の向か いの席には女のひとが2人座ってる。 「すごいね、またナンパされてる。…さっきは違うひとと飲んでたよね。」 「―ホントだね。…何考えてんのかわかんない。」 「ふふっ。―あっ、ほら呼んでるよ。」

 言われて奥に目を向けると、彼が手をひらひらさせてあたしを呼んでるのがぼ んやり見えた。  溜息を吐いてあたしはのろのろと動きだす。

「ホント、何考えてんだろうね。」  ひとり呟いて彼の元へと向かった。



しばらくして、彼はその女のひとたちと店を出てった。あたしは心底ホっとし て仕事を続けた。

 週末は客が多くて、その日もやっぱり営業時間を大幅に過ぎて仕事は終わった 。

 あめ玉のコを追って入った居酒屋は、そんなに広くはないけどなかなかいぃ雰 囲気の店だった。

 ひとりで酒を飲んでたら何人かのお姉さんに声をかけられて、断る理由もない から一緒に飲んだりもした。最後に声をかけてきたお姉さんたちは、別のトコで 飲み直そうとオレを誘った。

 言われるままに店を出て、少し離れたトコにある全然雰囲気の違う店にオレは 連れてかれて、そこでもしばらく酒を飲んだ。彼女たちはかなり酔ってたけど、 まだ飲み足りないのかなかなかオレを放してくれなかった。

 3軒目で、いぃ加減面倒になって彼女たちの誘いを丁重に断り、最初の店に戻 った。店は営業時間を過ぎても灯りが点いてて、あめ玉のコの自転車もまだあっ た。

 オレは自転車の脇に座って、タバコを吹かしながら彼女を待った。

 彼女のガードは思いの外堅い。正直、ちょっと傷付いた。

 傷付くくらいの脆さがオレにもまだあったのは驚きだけど。  確かに、オレの顔を覚えたトコで、彼女には何のメリットもない。オレだって 彼女の名前を知ったトコで何の得にもならない。

 それでもオレはそれを欲してる。  オレの存在を覚えてくれるコトを。

 彼女の名前を知るコトを。  それが何の為になるかなんて知らないけど、どうしてもそう望んでるんだから 仕方ないじゃないか。

 灰が地面にぽとり、と落ちて、思い出したようにタバコをくわえた。

 深夜だと言うのに気温はあまり下がらない。今夜はきっと寝苦しいだろう。

 3本目のタバコに火を点けた時、ようやく彼女は現れた。

「―お疲れ。遅かったね。」  声をかけると、そこにいるオレに気付いて彼女はびくりと体を震わせた。

「……何、やってんの?」  あんまりびっくりしたのか、彼女は胸を押さえてやっとそう言った。その顔は 異様に怯えていた。幻かと思うくらい、それはすぐに消えてしまったけど。

「待ってたんだよ。遅いから一緒に帰ろうと思って。」  彼女は深い溜息を落としてオレを見やる。

「ホント何なの?あなたが何考えてんのかわかんない。」 「オレもよくわかんない。でもあんたおもしろいから。意地でも顔と名前覚えて もらおうと思って。」

 彼女はオレをムシして、さっさと自転車を押して立ち去ろうとする。オレは半 ば強引に自転車をひったくった。

 彼女は呆れてまた溜息を吐いたけど、すぐに気を取り直して歩きだした。オレ も自転車を押して歩きだした。 「あそこでどれくらい待ってたの?」

 少しして彼女は静かに言った。 「ん?…んー、そんな待ってないよ。あのお姉さんたち、なかなか帰してくれな くてさ、3軒くらい連れ回されたから。」 「じゃあ随分飲んだんじゃない?大丈夫なの?」

「―へぇ、心配してくれんの?」  笑って彼女を見下ろすと、彼女は鼻で笑ってオレを見た。“何言ってんの?” って顔で。

「ココで倒れられてもあたしあなたを置いてくしかできないからね。」 「…冷てぇなぁホント。」

 彼女は何も言わずに笑った。  夜の暗がりの中でも、彼女の白い肌は内側から発光でもしてるように光って見 える。あんまりまじまじ見ちゃいけないと思いながらも、無意識に目は追ってい た。

「あぁ、そうだ。あなたあめ玉欲しいって言ってたよね?」  そう言ったかと思うと、いつものようにバッグを漁りだした。少しの間そうし た後、彼女は残念そうな顔でオレを見上げた。 「ごめん。売り切れ。」

「いやいぃよ、別に。」 「そう?…じゃ、代わりにこれあげる。」

 彼女がオレの方に白い手を伸ばしてきた。反射的に手を出したら、その上にい つもとは違うあめ玉が乗っかった。 「いぃコトは何も起きないただのあめ玉。これは何も書かなくていぃから楽でし ょ?」

 笑う彼女は無邪気だった。初めて見るその顔にオレはワケもなく動揺した。

 ただのあめ玉がえらい貴重な一粒に思えた。



「オレもあそこでバイトするかなぁ。」

「スポンサーがいるからお金には困ってないんでしょ?」  からかうように彼女は言った。オレは小さく笑って首を振った。

「いつまでもそうとは限らないよ。どうせじきに飽きて捨てられる。…彼女たち にとってオレはファッションの一部だからね。」

「ふ〜ん。…なら、次々に流れ歩いたらいぃんじゃない?あたしに構ってるヒマ あったらそういう女を探した方よくない?」

「あんたホント手厳しいな。…オレあんたみたいな女に会ったの初めてだ。」  苦笑して彼女を見たら、彼女は意地の悪い目で笑った。

「そう。それはよかったね。あなたに引っかからない女もいるんだよ。もう諦め て他探したら?」 「…そういうつもりで声かけてんじゃないんだけど。」

「じゃあ何?」  答えに詰まった。

 オレだって知らないから。何の為にこんなストーカーみたいなコトしてんのか 、自分でもわからないから。オレはただ―― 「…オレはただ…あんたの名前を教えてもらって、オレを覚えてもらいたいだけ だ。」

「さっきも言ったけど、必要ないよね?」

 彼女は冷ややかに笑う。  急に気温が下がった気がした。

 さっきのあの笑顔は何だったんだろう。そう思うくらいに、彼女の表情は冷た いモノに変わってる。

「…そうだけど…そんな言い方しなくたっていぃじゃないか。」

 呟くように零すと、彼女はまた鼻で笑った。その声がオレの中のどっかを切り 裂く。

「あなたに優しくする必要を感じないもの。イヤならもう近付かなきゃいぃ。」 「……」  オレは黙り込んだ。

 怒りなのか悲しみなのか、ワケもわからない感情と共に変な笑いが込み上げて くる。

 彼女は怪訝な顔でオレを見上げていた。 「ホントつれねぇなぁ。…あんまりそうやって冷たくしてるとさ、そのうち犯さ れるぞ?」  無意識にその言葉が口から出ていた。

 彼女の足がぴたりと止まる。

 その顔には暗い笑みが浮かんでいた。背筋が寒さを覚えるくらいの。 「それで気が済むならそうすればいぃ。」

 静かに透る声で彼女は吐き捨てた。驚く程冷めた響き。  オレはただ立ち竦んで、その顔を眺めていた。

「そんなの慣れてるから気にしない。気が済むまでやったらいぃ。満足すればい なくなってくれるんでしょ?」 「……悪い…そういうイミで言ったんじゃ…」

「別にどんなイミだっていぃよ。…あたしなんてそんな利用価値しかないんだか ら。」  まるで他人事のように言い放って彼女は歩きだした。オレも黙って歩き始めた 。  冷たい空気が流れて、通り過ぎるコトなくオレたちについてくる。

 彼女は何でもない風に涼しい顔で歩き続ける。

 何か話さなきゃいけない気になるけれど、そんな時に限って何も話題が見つか らない。頭の中では、さっきの彼女のセリフと顔がぐるぐる回っていた。 「もう話しかけてこないで。これ以上話してもムダだよ。あたしはあなたと親し くなる気なんかないし、名前も教える気ない。…まぁ、他の女に飽きてあたしみ たいなのと遊びたいって言うならいつでも相手になってあげるけど、だからって 何も変わらない。」

「だから、そういうんじゃないって――」

「だったら尚更寄ってこないで。ホント迷惑。あたしあなたにあめ玉あげるくら いしかできない。他には何にもしてあげられないし、する気もない。」  イライラしてるのか彼女の声は少し大きくなった。冷たい笑顔は残ったまま。 「自転車返して。ココまででいぃ。…送ってくれてありがと。」  最後の方は独り言のように呟いて、彼女は自転車に乗って行ってしまった。  いつものようにその背中を黙って見送る。

 何かこのパターン定着してるなぁ。  いつもオレは見送る側だ。見送る側の方がさみしいのは何でだろうな。

 静かな夜の道端で、オレはそんなコトを考えてた。  ポケットに手を入れると、さっきもらったあめ玉が指に触れた。口に放り込み ながら、小さくなってく彼女の背中を眺めた。

 これも毎度お馴染みか。 「――あっちのがウメぇ。」

 同じイチゴ味なのに薬くさく感じた。

 ただのあめ玉を舐めながら、あの味を恋しく思った。



【0006】

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