エッセイ

病気も怪我も♪
栗城 秋様:作



[紹介文]幼少期からの怪我や病気になった時の事を
おもしろおかしくご紹介


†保育園入学まで†
〜保育園と小学生〜
〜中学生〜
〜高校生〜
〜専門学校〜
〜社会人・ポリープ編


産まれたのは2500グラムくらいの小さめだったらしい。


性別は女。不妊治療の末にやっと授かったらしく、
両親にはもちろん親戚等にも幸せを与えた
喜ばしい誕生日だった(と思う…たぶん)。


予防注射をキッチリ受けたにも関わらず大体の幼児の病気を制覇した。


りんご病はお雛様の辺りに発病し、
真っ赤なほっぺたをして熱でだるそうな写真まで残っている。


そんな時にわざわざ写真を撮る親もどうかと思う。


当時の怪我は一件を除き自分の不注意によるものだった。


まぁ誰でも怪我なんてだいたい自分の不注意が原因だろうけど。


一番初めの怪我についての記憶は庭での事。


当時、実家の商売を手伝っていた母に連れられて
毎日決まった時間に家を出発していた。


その日はいつもより少し早く準備が整った為に
庭で走り回りながら母の準備を待っていた。


狭い庭で走り回らない方がいいなんて事は
幼い私の頭にはインプットされていなかった。


しかもまだまだ歩きも拙い年頃。


当然こけた。しかもご丁寧に
庭石(軽く尖って背が高い岩だったので『山石』
と呼んでた石)に顔面をぶつけた。泣いた。


しかし母は仕事の為に電車に乗らねばならず、
一通り私の状態を診て『よしっ!』と言ってヒョイと抱えて駅まで走った。


何が『よし』だ。母は強しだ。


余談だがうちの母は素手でゴキブリを叩き潰すタイプである。


次に玄関で事件は起きた。


後追いが激しい年頃だった私は
母にピタリとくっついて過ごしていた。


母が台所に立てば台所で遊び、洗濯物を干しに庭に行けば付いて行き、
トイレにまで一緒に行った。母の行動の監視は怠らなかった。


母も声を掛けたりゆっくり行動したりと付き合ってくれていた。


しかし事件は起きた。父の電話だ。


父は毎日仕事から帰る前、家に電話を入れるタイプの人間。今も昔も。


その電話に出るために母は台所から
玄関までパタパタと走って行ってしまった。


後追い真っ盛りの私は焦った。


そしてこけた。再び顔面をぶつけた。


今度はこれまたご丁寧に観葉植物の植木鉢が目の前にあった。


鉢の下の水受け皿に強打して唇の脇を切った。


泣いた。縫うほどの傷ではなかったのに傷痕が残っている。


思春期の頃は気にしていたので
『チューする時に見られちゃう』なんて思って悩んでいたが、
傷痕なんか見られたところでどうってことはない。


それよりもっと鼻毛とか気にするべきだと今は思う。


次の事件は母の職場である祖父母の家で起きた。


昼ご飯を食べ終えて活気づいた私は店で遊ぼうと
一人で居間を出た。母や祖父母はまだまったりしていた。


ビスケットを口に入れたまま走り回っていたら、
30センチ程(たぶん)の段さから落ちた。泣いた。


店に祖父と母が来た。


大口を開いて泣く私の口の中には謎のかけらでいっぱいだった。


謎って言うかビスケットだけど。母と祖父は
『歯が砕けた!』と騒ぎ立てた。


歯じゃなくてビスケットだけど泣いているので言えなかった。


それどころではなく痛かった。打ち付けた顔面が。


このように顔面ばかり強打したために残念な顔になってしまった。


元々の遺伝子だってくだらないのに……。


自分の過失ではない怪我をしたことが一回だけあった。


その日は店に置いてあった椅子に祖父と座って
ひなたぼっこをしながらおしゃべりしていた。


祖父は職人によくあるようなとても厳しいオーラを放つ人であった


ので、当時の私は怖くて自ら進んで近寄ることはなかった。


しかし祖父がくれる仁丹とアイスが大好きだった。


祖父と言えば仁丹、仁丹と言えば祖父だ。


その日も仁丹を一緒に食べていた。


そこに車が突っ込んで来た。
店のガラスを突き破って店に、二人が座っていた椅子に車が突っ込んで来た。


一瞬記憶がなく、
気がついたら床に倒れて祖父の身体にスッポリ包まれていた。


手を少し切っており痛かった。

v 目の前にはタイヤがあった。
祖父の腕はあと数ミリでタイヤの下敷きになるところだった。


幸い祖父も擦り傷程度で済み、
私も手の傷だけで済んだ。店はグチャグチャだった。


祖父がいなかったら逃げる間もなく
椅子と一緒に潰れて死んでしまっていたと思う。


祖父が大切に想ってくれてることを
幼いながら感じたのを覚えてる。


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