エッセイ

「あんた、そんなに急いで死にたいの?」
佐々木 忠 様:作



確かに、真冬の風は肌をも刺す。


久しぶりに、我家の湯船に長く浸かってみた。


風呂場の窓の外から、「ササーッ」とした音が何度も鳴った。


孟宗竹の、風に揺れる音である。

v この音を聞くと、「」と言う言葉を思い出す。

v 竹や茅などを斜めに組んだものだが、
これは主に冬の風雪除けなどに田舎では使ったものである。


この笹や茅の葉が、強い風に吹き晒されて小刻みに揺れて鳴る音でもある。


もっとも、ある一説によると昔し武家社会において
罪人の首を刎ねた時(打ち首)の、
血が一気に噴出す時の音であるとも解いていた。


何にせよ、よく聞いていると侘しくもあり切なくもあり、
時には虚しい音にも聞こえる時もある。


「風は、ものを言う」と言う古い落語があったような気がする。


魚屋の親父が、「おっ、サラサラしてやがるぜ。


雪が降ってきたんじゃねぇか?」と言うと、
女房が「門松がさぁ、風が出てきたもんだから触れ合ってさぁ」
とか言うセリフがあった。


こんなおを聞いていると、シーンと静まり返った夜の光景を思い出す。


まだラジオやテレビの無かった頃で、
ましてや往来には車の音なども聞くような時代で
無かった頃の落語の一節であったようだ。


そんな静まり返った時代には、
寂しいながらも耳と言う聴く楽しみがあったのであろう。


今では、真に騒がしい音を耳にする時代となった。


毎日のようにバラバラ殺人事件や、
政治家の政治資金問題やら日興コーディアルグループの不正会計問題、
あるいは雪印の二の舞とも言うべき不二家の、
期限切れ食材による食品製造違反など枚挙に暇がない。


オマケに、柳沢厚労相の「女は生む機械」発言で国会も荒れてしまった。


まるで、「生きるとは、不正な行為を継続するか噛み付く」
か「分からなければ、バレるまで進め」が目的みたいな世の乱れである。


こんな時に、あの荒木静香さんの銀板での華麗な演技に使った、
「誰も寝てはならぬ」の名曲でも聴いて忘れたい気持ちになる。


とは言え、イジメなどで自殺した福岡県の中二の生徒の遺書などをも思い出す。


「お父さん、おかぁさん、こんなダメ息子でごめん、いままでありがとう。


いじめられてもういきていけない」。


この一字一字が、目に浮かびそして耳からも離れない。


一方では、広島県で起きた昨年秋の七歳になる木下あいりちゃん殺害事件もあった。


下校途中に殺害されたが、あいりちゃんは学校でアサガオを鉢に植えていたと言う。


その鉢は、今家のベランダに置いてあるなそうだが、
その鉢に鳩の雛が孵ったと言う。


この鳩に、お父さんが「あいり」と言う名前を付けたと言う。


あいりちゃんの、生まれ変わりとして大事に育てたいとのことである。


こうした様々な光景を思い出しながら、
風呂場の窓を開けて外の空気を入れながら外部の様子をも伺ってみた。


ヒンヤリとする夜風が、
ちょっと強めに室内を掻き巡り一瞬にして温度を奪って行く。


我慢をして、暫く窓を空けながら外でざわめく風の音を聞いてみた。

v 寒くなったので、湯船に浸かりながらその音を聞くと、


「シュルル」どころか
「ゴーッ・ヨクシュー、ゴーッ・ヨクシュー、キューキュースルスルー」
と、聞こえた。


まるで、「強欲衆、強欲衆、窮々するするー」
と言っているような気がした。


やはり犯罪者の心理は、「不正を継続」する人種なのかもしれない。


窓をオープンしての風呂は、
何となく露天風呂に入っているような感じがした。


色んな音を聞かせる夜風に、
過ぎ去った様々な思いが浮かび上がってはその音を出す。


そんな思いからか、
小さな音もよく聞こえるように耳の奥まで念入りに洗うことにした。


事件や事故は、その世相を表すバロメーターとも言われる。


家族や、親子の絆さいも失われつつある。


外の樹木の梢から、何かが聞こえた。


「お酒、飲むの?」と言う、カミさんの声だった。


秋の夜長の晩酌もよいが、
この厳冬の窓空け風呂に浸かった後のお酒も、
社会状況を噛み締めるには良いクスリだと思う。


たまには、騒々しい電波のゴミから離れて静かに悪くなりつつある
「体感治安」を、肌で感じながら養うのもせめてもの抵抗としたい。


世相を感じ取り、
身の安全と不正の排除を重点に処しそれを肌で体感することを、
私は「体感治安」と勝手に呼んでいる。


はるか大晦日を通り越して、
今になって「年の湯」に浸かったようなそんな感じに耽って見た。


「世の中の 縮図に吼える 笹の音」。


「いよーっ、風流男!」と言う、野次が聞こえそうだ。


それでも良い、
要はセカセカせずマイ・ペースと言う時間を持つべきであろうと思う。


人はそういう場を持たねば、己を失う時もあるのだ。


 増してや、
背伸びして世の中を歩いたところで所詮は背だけの能力しか発揮できないのだ。


 その無理を越すと、
運命の終わりの門が大きく口を開けて待っている気がする。


「き切って テープの前で 息絶える」、
そんな人生は惨めであろう。







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